やっと通り過ぎた夏を思い出すようで、それはひどく晴れた秋の日のことでした。斜陽を迎えた野原に佇んでいると、蜻蛉が一匹やってきて、その羽が黄金色に光って見えたりもして、私は眩しさに目を細めながら、あの工場で働いている人達を想像したりもしました。そうしていると、私は一体、此処で何をやっているのだろうと、はっとした気持ちにもなるのでした。
生まれてきたからには、私にも何らか役割があるのだと、私はずっとそう信じていたけれど、確かにそれは見つかってはいるものの、それというのがどうにもお金になるものではないので、私もあの工場で働くのが一番良いのかもしれないと、そのようにも考えてもみるのですが、しかし、私の生きることとは書くことでしかないのです。感じるがままに紡ぎ続けた言葉が、時代を超えて誰かの心に届くかもしれないと、私は大変厚かましくも、そういった夢想を現実のものとして信じてやまないのです。
この石くれの温もりはいつか消えるでしょう。この抜かれた草の命は、ほのかほのかに萎えていくでしょう。だけど文学は、言葉は人々に忘れ去られない限り、いつまでも存在するのです。だから私も、この夕陽に霞んだ工場の煙突を忘れないでいようと思うのです。そして、この真っ赤な蜻蛉のように、私もいつか空を飛んでみたいと想います。
という読み解きをして、朗読しています。こちらは中原中也さんの詩集、『在りし日の歌』より、"蜻蛉に寄す"でした。
ようやく秋らしい気温となりましたが、深夜が急激に冷え込み始めましたので、貴方様、どうか暖かい格好でお過ごしくださいませ。それと、いつも朗読をきいてくれてありがとう存じます。大変励みになっています。これからものんびりと活動していきますので、どうぞよろしくお願いします。それでは又。
あんまり
その
ほのかほのかに