蜻蛉に寄す - 中原中也|詩の解説
やっと通り過ぎた夏を思い出すようで、それはひどく晴れた秋の日のことでした。斜陽を迎えた野原に佇んでいると、蜻蛉が一匹やってきて、その羽が黄金色に光って見えたりもして、私は眩しさに目を細めながら、あの工場で働いている人達を想像したりもしました。そうしていると、私は一体、此処で何をやっているのだろうと、はっとした気持ちにもなるのでした。
生まれてきたからには、私にも何らか役割があるのだと、私はずっとそう信じていたけれど、確かにそれは見つかってはいるものの、それというのがどうにもお金になるものではないので、私もあの工場で働くのが一番良いのかもしれないと、そのようにも考えてもみるのですが、しかし、私の生きることとは書くことでしかないのです。感じるがままに紡ぎ続けた言葉が、時代を超えて誰かの心に届くかもしれないと、私は大変厚かましくも、そういった夢想を現実のものとして信じてやまないのです。
この石くれの温もりはいつか消えるでしょう。この抜かれた草の命は、ほのかほのかに萎えていくでしょう。だけど文学は、言葉は人々に忘れ去られない限り、いつまでも存在するのです。だから私も、この夕陽に霞んだ工場の煙突を忘れないでいようと思うのです。そして、この真っ赤な蜻蛉のように、私もいつか空を飛んでみたいと想います。
という読み解きをして、朗読しています。こちらは中原中也さんの詩集、『在りし日の歌』より、"蜻蛉に寄す"でした。
ようやく秋らしい気温となりましたが、深夜が急激に冷え込み始めましたので、貴方様、どうか暖かい格好でお過ごしくださいませ。それと、いつも朗読をきいてくれてありがとう存じます。大変励みになっています。これからものんびりと活動していきますので、どうぞよろしくお願いします。それでは又。
あんまり
その
ほのかほのかに
木陰 - 中原中也|詩の解説
中原中也さんの詩、山羊の歌より"木陰"を朗読しました。この詩は、後悔が主題です。ひとり木陰に腰を下ろして、中也さんがぼんやりと考えているのは、どれも過去の出来事ばかりでした。あの時、こうしていればよかったなとか、疎遠になった人ともっとお話がしたかったなとか、そのようなことが浮かんでくるのでした。
からっと晴れた夏の空を見ていると、楡の葉が小さく揺れる音を聴いていると、私は今、生命溢れるこの世界に生きているのだと感じる。しかし、今よりも過去を生きたいと願う私は、一体いつから喪心してしまったのだろうか。未来へ進めば進むほど、疲労ばかりが積もっていくのだ。
人様は、過ぎたことは忘れろと言うが、私はどうにも、忘れない為に詩を書いている気がする。そして、後悔するのだ。何度も、何度も後悔しながら惨めに生きている。誰も、この心中を理解する者はおらず、私はただ、この木陰のように、静かに過ごしたかっただけなのに、どうして私はいつも、自ら太陽の下へ出て焼かれたのだろうか。私は此処でいい。此処がいいのだ。木陰よ、この後悔をいつまでも宥めてくれ。
という読み解きをしました。私、中也さんの詩が全部理解できますといえば、そんなことは全くもってないのですが、少なくとも私が、中也さんの詩集を開く時は、何かのメッセージが込められていると確信して読んでいるのです。それをゆっくりと感じながら、中也さんの詩に心を傾けています。同じ詩の内容でも、読み手によって解釈の違いは当たり前にありますので、貴方は貴方の読み解きをしてみてください。
最後まで読んでくれてありがとうございました。久しぶりの録音で、とっても緊張しましたが、心を込めて朗読しましたので、よければきいてください。それでは又。
やがて
やがて
かくて
わが半生 - 中原中也|詩の解説
中原中也さんの詩、"わが半生"を朗読しました。この詩の主題は、己の死です。私なりに読み解いてみましたので、よろしければ最後までお付き合いくださいませ。
私は随分と苦労してきたように思うが、果たして、その苦労にどれほどの価値があったのかなんて、今まで考えたこともなかった。とにかく私は、多くの苦労を積み重ねてきたのだ。
こうして、じっと我が手を眺めていると、思うことがある。人は結局、どれだけの苦労を消化したとしても、世間が認める価値のある人間になったとしても、人の死というのは満遍なく、平等に訪れるものなのだ。それは決して、避けられない事実なのだろう。
それならば、これからの人生は、たとえ無為でもいいから、もっと私らしく在りたいと考えている。己にしかわからない価値や、自身だけが理解できる意味を求めて、生きてゆきたいと思っているのだ。そうやって私は、静かに死んでいきたい。いつものように、この机の前で座ったままに、死んでゆきたいのだ。
という解釈をして、朗読しています。中也さんの多大な苦労は、中也さんにしかわからないけれど、特に人間関係で苦労されていたのではないかと思うのです。その人を傷つけたくなくても、気がつくと手には刃物を握らされていて、誰かを抱きしめてあげたくても、己の体温で誰かを焦がしてしまう。中也さんが求めれば求める程に、それらは遠くへいってしまうのでしょう。
最後まで読んでくれてありがとうございました。中也さんと同じ時代に生まれることは叶わなかったけど、私は中也さんの紡いでくれた言葉を通して、中也さんの体温をいつも感じております。それでは又。
それがどうした
またその
あつたものかなかつたものか、
そんなことなぞ
とにかく
そして、
じっと
ことしか
はるかな
そして
湖上 - 中原中也|詩の解説
中原中也さんの名詩、"湖上"を朗読しました。中也さんがこの詩を書かれたのが昭和五年のことなので、長谷川泰子さんはもう中也さんの腕の中にはいなかったのです。そして、小林秀雄さんの傍にもいないのです。演出家との子供を身籠った泰子さんに対して、中也さんは一体何を思っていたのでしょうか。
この湖上は、そのような泰子さんに向けての想いを描いていると解釈しました。もしあの時こうであったなら、違った未来もあったのだろうと、そのような中也さんの声が聞こえてきそうであります。
月を見て思い出したのは、泰子さんの儚げな笑顔です。誰にも邪魔されず二人だけで出掛けましょう。人波を縫って進んで行けば、喧騒も少しはあるのでしょう。
そうして、街から離れると静かでしょう。貴女の声はとても小さいので、こうして耳を寄せて聴くのでしょう。言葉の途切れ間に、私も小声で話すのでしょう。貴女は少しかがんで聴いてもくれるでしょう。それから私にくちづけをするでしょう。私はいつも貴女を見上げていたのです。
貴女が私といてくれた頃、私はもっと貴女のお話を聞いてあげれば良かったのです。しかし、幼い私は、それが読書や詩作の邪魔をしているとしか感じなくて、何かする手をいちいち止めては、面倒くさそうに貴女の声をじっと睨んでいたのです。今なら洩らさず聞いてあげれるのに、貴女はもう、二度と私の手を握ってはくれないのです。
月が綺麗であります。今の私には、貴女の幸せを願うことしか出来ません。それでも何かの奇跡が起きて、聖母(サンタ・マリヤ)がもう一度、私を愛してくれるのなら、私は貴女の船となりましょう。波からも、風からも、私が守ってあげるでしょう。たくさんのごめんなさい。心よりお慕い申し上げます。
という読み解きをしました。何年先かわからないけれど、泰子さんはこの詩を読んでいたと思います。その時に泰子さん何を感じたのでしょうか。そして、この湖上がもしも結婚前の泰子さんに届いていたのなら、二人の未来は大きく変わっていたのかもしれません。私はそのようなことを夢想したのでした。
最後まで読んでくれてありがとうございました。今を大切に生きていますが、それでも失っていくものは多くあり、それが大切だと気づくのは、決まって失ってからであるのでしょう。心を込めて朗読しました。よければきいてください。それでは又。
ポッカリ
――あなたの
すこしは
われら
あなたはなほも、
よしないことや
――けれど
ポッカリ
帰郷 - 中原中也|詩の解説
中原中也さんの詩、"帰郷"を朗読しました。私がこの詩を読み解いて書き起こすよりは、「お前は何をしてきたのだと……」の一節について、詩の読み手が胸に手をあてて振り返ってみるのが良いと感じています。恐らくこの詩は、そういったこちら側に対する強い問いかけがあるのだと私は思っています。
いえ、それだけの解説ですと、闇の魔力で消されてしまいそうなので、私なりに少しだけ書いてみます(何)。
私がこの帰郷に触れて感じたのは、故郷から旅立った日の出来事や決意、それ対して今の自分は、恥じることなく生きているのだろうか、という問いかけです。そのように私は、真っ直ぐに歩けているのだろうかという自問に、自分自身を見つめ直す機会を与えてもらったような気持ちになれるのです。私はこの詩を読む度に、いつもハッとさせられています。
故郷とは、生まれ育った場所だけではなく、何かの出発点とも解釈できます。「
最後まで読んでくれてありがとうございました。私の故郷は、緑と川と、お腹いっぱいのプリンでありました。貴方の故里では、今もさやかに風は吹いていますか? 心を込めて朗読しました。よければきいてください。それでは又。
あゝ
あどけない
これが
さやかに
あゝ おまへはなにをして